歴史調査(縄文 三内丸山遺跡)

歴史調査(縄文 三内丸山遺跡)
「遥かなる縄文の声」(三内丸山を掘る)NHKブックス、岡田康博著2000年初版
の内容を整理する。出版は、1992年から本格的発掘が始まって8年目だから、大体の成果は載っていると思う。その後18年もたっているので、その後の研究成果を、盛り込んで調べたいが、すぐ調べるのが難しい。縄文初心者だから、とりあえずこの本を整理してみる。

この本以後の研究成果は、例えば、三内丸山遺跡のホームページに年報が出ている。今回の整理が終わってから調べたい。
その後の発掘調査、土器に付着したデンプンの解析とか載っているようです。
(写真はH30年度実施の北端部発掘場所です)
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/literature/index_education_year.html
画像


ホームページ<調査研究<発掘最前線では毎月の発掘状況を確認できます。
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/literature/index_education_year.html

それでは本の整理に取りかかります。

三内丸山遺跡の歴史
・山崎立朴「永禄日記」(舘野越本 1623年)に記載がある。
・紀行家菅江真澄の紀行文「すみかの山」(1799年)・・・遺物スケッチ・考察
・昭和51年4500年前の墓発見
・H4から6年の発掘で(県営野球場建設予定地だった)
 縦穴式住居 580棟、土坑墓 800基、掘立柱建物 100棟
 成人の墓  100基、小児用の墓  880基
 盛土、遺物廃棄ブロック、粘土採掘穴、道路跡
 縄文土器、石器、土偶など段ボール箱(4万箱)

三内丸山遺跡は他の遺跡とどう違うか?
大きい・・・・巨大集落・・・縄文都市
長い・・・・・・1500年継続、平均寿命30才
多い・・・・・・段ボール箱(4万箱)

数々の発見
①建築技術(大型掘立建物)や加工技術(ヒスイ、漆)等優れた技術
②栽培技術の存在(ヒョウタン、エゴマ、ゴボウ、クリ)
③各施設の計画的配置(住居、墓、倉庫、やぐら、ゴミ捨て場、粘土採掘場)
④大規模な生産(一集落では消費できない土器、石器、土偶)
⑤遠方との交易(ヒスイ新潟、アスファルト秋田、コハク岩手、黒曜石北海道)
⑥縄文人の心(小児は近く、成人は離れて埋葬)
以上から縄文は狩猟、採取、移動とみられていたが、定住が確認できた。

第1章 巨大な遺構
6個柱穴と柱・・・クリ、2度内側に傾いている、根元は焼いてある。
建物ではない(トーテム・ポール)という意見もあるが、やはり建物だろう。
三内丸山遺跡は普通の遺跡か祭祀都市かという議論もある。
復元建物は、あの形で良かったかという意見もある。

第2章 海と森と縄文人
① 海の幸
1年中海の魚(マダイ、ヒラメ、ブリ、マグロ、アジ、サバ、イワシ)や貝が食べられていた、淡水魚(コイ、フナ)は骨が見つからない(食べられていない)。
ブリとサバは頭骨が出てこないので、別の場所で加工後持ち込まれたようだ。
② 山の幸
他の縄文遺跡と違って、ウサギ、ムササビ等が7割で、イノシシ、シカの骨が少ない。取りすぎでいなくなってしまったらしい。焼けた骨がないので、煮るかミンチにして食べたのだろう。
どんぐりは食べられていない。クリの栽培がDNA分析で明らかになった。トチが後半食べられたが、人口が増え、クリ、クルミが足らずに仕方なくトチも食べたのだろう。
もちろん、山菜(ゼンマイ、ワラビ、コゴミ)、キノコが豊富であった。イモもたぶんあった。酒も作られていたらしい。

本日はここまで第3章以降は次回

感想
日本の歴史シリーズ01「縄文の生活誌」、講談社、岡村道雄著 2002年初版
では、付近の村から祭りに参加するため、13才の少女が父に連れられ三内丸山遺跡を訪問する様子が書かれているが、やはり特別の村であったのだろう。



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