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<<   作成日時 : 2018/09/13 07:25   >>

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歴史調査(日本の国名 倭)
昨日は日本国の発音と成立について整理したが、本日は倭について整理する。

倭国とはhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD
・紀元前1世紀頃『漢書地理志』によると「楽浪海中に倭人あり、分かれて百余
国をなす」とある。(倭人と後の日本人とは範囲が異なる)
・1世紀中葉の建武中元2年(57年)になると、倭奴國が倭奴国王に冊封されている。(ここで云う国とは、中国で云う国邑すなわち囲まれた町のことで各地の豪族がそれぞれ倭国王を称していた可能性も否定できない。)
『後漢書』「東夷傳 「建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」

倭の意味・語源。(ウイキペディア「倭」では)
・意味・語源は諸説あり不明(悪字であるかも意見は分かれる)
・ 例えば 江戸時代の木下順庵らは、小柄な人びと(矮人)だから倭と呼ばれ
  たとする説を述べている。
  (宮城谷昌光の小説には倭人とは魚を食べている背の小さな(矮人)南の越
  の人で時代とともに北に地域が移動し、最終的に楽浪海中になったと書
  いてあったと記憶する。)
・一条兼良は、『説文解字』に倭の語義が従順とあることから、倭と呼ばれるの
  は「倭人の人心が従順だったからだ」と唱えた。

語源(解字)は、「委(ゆだねる)」に人が加わった字形。解字は、委は人が屈んだ形で小さな人(矮人)の意味もある。
別の説では、「ゆだねしたがう」「柔順なさま」「つつしむさま」、また「うねって遠いさま」。音符の委は、「女」と音を表す「禾」で「なよなかな女性」の意とある。

倭の由来
諸説あり未だ不明だが、一部を紹介する。(ウイキペディア「倭」より)

1 中国由来説(中国の人が倭と名前をつけた)
・史書に現れる中国南東部にいたと思われる倭人や百越の人々を含んだ時代もあったという意見もある。 中国人歴史学者の王勇によれば中国の史書に現れる倭人の住居地は初めから日本列島を指すとしている。

2 日本由来説 (わという音から倭という字が使われた)
・平安時代初期の『弘仁私記』序にはある人の説として、倭人が自らを「わ」(吾・我)と称したことから「倭」となった、とする説を記している。(翻訳ミス説)
・井沢元彦は「当時の日本には国家や王朝と謂った概念が無く(在っても現在の「集落」程度か)、王朝という自分たちの概念に最も近いものを尋ねた処、『環(わ)』(環濠集落)と答えた為にそれを民族名とした。」と著書「逆説の日本史」で唱えている。

感想
倭国が日本になったと漠然と思っていたが、弥生時代は、東夷方面の海に住む人程度の意味、古墳時代は冊封を希望した環濠集落(複数の可能性あり)、ヤマト政権ができると朝鮮を含んだ古代ヤマト政権であり、白村江で敗れると西日本のヤマト政権を指し、韓国の倭人は新羅人となっていった。倭国と言っても時代によっても範囲が異なり、倭国=日本の時期はほとんどなかった。従って倭国を日本と同列に考えるのは間違いらしい。
参考までに、網野善彦は、「日本とは何か」で次のように述べている。
韓国では、倭=日本人との認識が常識であり、日本人の暴挙として、「倭寇、壬申倭乱、日帝三十六年」を挙げている。しかし、倭寇については、西日本、朝鮮半島、中国の海のネットワークであり、後期倭寇は中国の明人の方が多かった。従って倭寇=日本人の暴挙は間違いである。






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