歴史調査(縄文の列島文化 岡村道雄)

歴史調査(縄文の列島文化 岡村道雄)
「縄文の列島文化」山川出版社、岡村道雄著、2018年7月初版という本を買ったので、内容を整理する。
今回は特に、第1章 私たちのルーツ・・・考古学的観点についてまとめる。


はじめに
・縄文文化は日本列島の全体に広がっていた日本歴史の第一段階だったと教えられてきた。しかし、縄文文化としての全体的なまとまりよりも、各地の文化集団・民族が担っていた地域文化圏が、文化の基本単位であったと確信するようになった。
・私たちの祖先が高度な生活文化と精神社会をすでに縄文時代に築き上げ、日本文化の基層を形成していた事実が次々に明らかになってきた。
稲作の始まりは、九州では紀元前千年、東北では、紀元前後と傾斜を持つ。
・縄文中期社会の衰退と、亀ケ岡文化圏の広がり。
・学問的縄文時代は終わっても、縄文的生活文化は、地域や都市と村、海と山、などでの違いがあって、昭和30年代からの高度成長・列島改造までは、色濃く保たれていた。

第1章 私たちのルーツ・・・考古学的観点
一 最古人類についての探求方法
考古学、化石人骨とそのDNA分析などによる人類学的研究、生態学、民俗学、文化人類学など総合的に考えたい。

二 日本列島人はいつどこから来たのか?
人骨は日本の土壌は酸性で溶けてしまうので、石灰岩洞窟や貝塚にしか残らない。従って難しい。

三 最古人の探求と論争
中期石器時代の金取遺跡は追加発掘でも確証が得られず。
佐世保市福井洞窟遺跡は後期であることが判明。
現時点では、四万年前に渡来した新人の前に古人類(旧人、原人)がいたかは不明であるが、ナウマンゾウやオオツノジカなどの化石から、列島にいた可能性は捨てきれない。
(註 4万年以後なら後期旧石器時代、新人で、4万年前なら中期旧石器時代、旧人、金取遺跡は8万年前と言われ、本当なら旧人の遺跡)

四 私たちの祖先・・・列島最古の人類
3ルートが考えられる。

五 旧石器文化から見た列島文化のルーツ
1 約四万年前に朝鮮海峡ルートでトライした最古の祖先
3万8千年前の不定形剥片石器、台形様石器などの石器文化が、本州に流入し、3万年前までに北海道まで北上する。
2 南西諸島の三万五千年前の石器と化石人骨
石器についてはわずかしか出土していないので石器文化不明、旧石器時代の人骨が多数見つかっている。本土への北上については否定的。
3 古北海道半島に約二万五千年前に北から南下した細石刃文化
北方ルートで細石刃文化、但しロシア沿岸の遺跡不明

六 後期旧石器文化の地域的固有化
後期前半3万年前刃部研磨石斧が本州(本州固有)に広がる。(狩猟生活)
北海道半島・古本州島・南西諸島の3大文化圏が成立。
後期後半に石器文化は北海道①・本州②~⑤・南西諸島文化圏⑥の6文化圏に細分化して、固定・継続
①北海道・東北アジア文化圏・・・細石刃石器
②北陸・東北文化圏・・・杉久保型石刃・彫刻型石器。エンドスクレーパ
③関東・東海文化圏・・・切り出しナイフ形石器
④近畿・中国・四国文化圏・・・・翼状剥片
⑤九州文化圏・・・九州型ナイフ形石器・剥片尖頭器
⑥南西諸島文化圏・・・少なく不明だが、礫石器等東南アジア系と思われる。

七 縄文文化の始まりと定住、地域文化の断続的継承
・本州に神子柴型と呼ばれる刃部磨製石斧を持つ神子柴文化圏に無文土器が現れる。
・南九州では無文土器が現れ、~隆帯文~爪形文土器と変遷する。

定住の確立と地域文化の顕在化・中期社会の衰退・・・略

定住確立以後の地域性とDNA分析
・海辺の貝塚の人骨(形や特徴)は全国的に均一(縄文顔)と言われているが
地域によって差がある。
・小竹貝塚のDNA分析では北方系と南方系の混血
暫定的所見ではあるが、縄文人は北方系と朝鮮半島経由の新人の混血

八 稲作文化の受容
・北九州の縄文人が受け入れ、東に伝えた稲作文化
地域によって、受け入れ程度や時間差があり、各地固有の弥生文化を形成
・人類学では、人骨から埴原らが二重構造モデルを提唱
・二重構造モデルは、地域差、時間差、環境や食生活による人体形質の変化、DNAの変化、などを考慮していないが良いのだろうか?

九 弥生時代以降の東北・東海道
奈良時代、平安時代と「ヤマト政権」が版図を広げ、稲作地域に編入。

十 約四万年前からの後期旧石器時代に遡る私たちのルーツ
従来水田耕作を受容して弥生文化を誕生させたことが、歴史的大変革として捉えられてきた。
また、人類学の上でも約2千年前に始まる弥生・古墳時代を通じて百万人にも及ぶ大陸系人が渡来し、従来の縄文人を北と南に追いやったという二重構造モデルを、堅持してきた。
しかし、水田耕作は多くの在地の縄文人が受容したのであって、背景には人々の交代があったわけではない。中略南九州以南や東北北部は米を基盤とした国には入らなかった。つまり、多くの渡来人が縄文人を南北に追いやったとする二重構造説や現代日本人の多くが渡来系の血を引くという論は、素直に受け入れることはできない。


感想
埴原の二重構造説を全面否定しているようだが、それで良いのだろうか?

参考文献にあげながら、論評していない、最新の研究成果である神澤や篠田が展開している核DNA分析についての見解が無いのはさびしい。三内丸山の権威がまとめ最近の本を呼んでも、日本人のルーツが、ますますわからなくなってしまったということは、私が生きているうちには、どうやら結論は出ないようである。
考古学ということだから、古(いにしえ)を考えることに意味が有りそうだ。
各自考えるから意見が異なるのは当たり前。



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