歴史探訪(街歩き 御茶ノ水~根津)

歴史探訪(街歩き 御茶ノ水~根津)
2月4日(月)、旧会社の仲間との月例街歩きで2月は御茶ノ水~根津を歩きました。
今回もまた、訪問した所の紹介文は、幹事が毎回まとめた案内書を利用させていただきます。

妻恋神社 ~ 湯島御霊社(畑の稲荷) ~ 霊雲寺 ~ 地付五社稲荷大明神 ~ 本郷中央教会 ~ 麟祥院 ~ 本郷キャンパス ~ 龍岡門 ~ 赤門(旧加賀屋敷
御守殿門) ~ 東大正門 ~ 池(三四郎池) ~ 安田講堂 ~ 弥生門 ~ 弥生式土器発掘ゆかりの地の碑~ サトウハチロー旧居跡 ~ 根津神社

妻恋神社
その昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征のとき、三浦半島から房総への途中で大暴風雨にあい、妃の弟橘姫(おとたちばなひめ)が海に身を投じて海神の怒りを鎮めたという。途中湯島の地に滞在したので、郷民が尊の姫を慕う心をくんで、尊と姫を祀ったのがはじまりと伝えられる。 江戸時代には、妻恋稲荷の名で有名となり、王子稲荷と並んで参詣者を集めた。
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湯島御霊社
京都の御霊神社より御分霊を賜わり、東叡山大明院が上野に創建した。宝永 7(1710)年輪王寺宮の御隠殿を当所に営ませる時に上野より当地に遷座したという。祭神は崇道天皇、井上皇后、他部親王、火雷神、橘逸勢、吉備大臣、文屋宮田麻呂、藤太夫人の8 座で合殿に輿財恵門稲荷ならびに大己貴神を祀っている。
注1)早良親王(崇道天皇)は、桓武天皇の皇太子であったが、藤原種継暗殺事件への関与を疑われて、淡路国に配流される途中に絶食、憤死した。(桓武天皇に実子が生まれて成長したため殺されたと思われる。)疫病が流行り、早良親王の祟りであるとして幾度か鎮魂の儀式が執り行われ、延暦19年(800年)、崇道天皇と追称された。(歴代天皇には数えられていない。)
注2)御霊信仰
怨霊を復位させたり、諡号・官位を贈り、その霊を鎮め、神として祀れば、かえって「御霊」として霊は鎮護の神として平穏を与えるという考え方が平安期を通しておこった。これが御霊信仰である。

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霊雲寺
湯島新花町にある真言宗霊雲寺派の総本山である。
霊雲寺は、元禄 4(1691)年 5 代将軍徳川綱吉は、深く帰依した浄厳覚彦を開山として徳川家のため、天下泰平・武運長久の祈願寺(徳川幕府の永代祈願所)として、江戸城から見て鬼門にあたる北東(艮)の当地に創建した。
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麟祥院
臨済宗妙心寺派寺院の天澤山麟祥院は、定光禅師集劉渭川が開山、徳川 3 代将軍家光の乳母として知られている春日局が開基となり、寛永元(1624)年報恩山天澤寺として創建した。(春日局の菩提寺)
春日局の墓、稲葉家、佐倉藩堀田家の墓がある。(堀田正盛は母が稲葉正成の先妻との間の子であった縁で、正成の後妻・春日局の支援をうけた。)
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春日の局の墓
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三四郎池
育徳園の池を心字池といった。夏目漱石の名作『三四郎』に、主人公の三四郎がヒロイン里見美禰子と出会う場としてここを舞台としたため、「三四郎池」と呼ばれるようになった。
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弥生式土器発掘ゆかりの地の碑
発掘したところは、ここではないかという候補地は数か所あるが、現在不明で、候補地の碑も、ゆかりの地としてある。

根津神社
根津神社は今から 1900 年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、御祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)・大山咋命(おおやまくいのみこと)・誉田別命(ほんだわけのみこと)で、相殿は大国主命(おおくにぬしのみこと)・菅原道真公(すがわらのみちざねこう)である。
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感想
2月初めにしては、暖かい1日(18℃位)であった。東大は、昔、行ったことはあったが、建物も増え、迷子になりそうであった。安田講堂、三四郎池等も思っていたイメージとは違っていた。根津神社は、つつじの咲く頃しか行ったことが無く、今回はすいていて、雰囲気がなかなか良かった。千駄木駅近くの「鳥安」でウナギを食し、気分の良い一日であった。
追記
麟祥院の春日の局の墓のところで、話題になった、家光の異母弟(信濃高遠藩主、出羽山形藩主を経て、会津藩初代藩主)は、保科正之でした。保科正之が思い出せないとは、情けない、年は取りたくないものだ。




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