歴史探訪(神奈川県の史跡 山下公園と山下居留地遺跡)

歴史探訪(神奈川県の史跡 山下居留地遺跡)
3月1日(金)久しぶりに山下公園を散策して、付近の山下居留地関連史跡を見て回った。その一部を写真をまじえて紹介する。
散策経路
山下公園~氷川丸~ニューグランドホテル~旧英国7番館~ヘボン記念碑~山下居留地遺跡~神奈川県芸術劇場~旧露亜銀行横浜支店~横浜ユーラシア記念館~横浜都市発展記念館
山下居留地とは、少し時代が新しくなりますが、神奈川県の史跡という観点から、山下公園~氷川丸~ニューグランドホテル~旧英国7番館も紹介します。

山下公園
関東大震災1923年の瓦礫を撤去せず公園として整備し昭和5年(1930年)開設、昭和10年復興博覧会が開かれた。
同じパネルに廃線鉄道の紹介もありました。
1965年山下臨港鉄道線設置、1986年廃止、1990年高架を撤去。
高架があったことはあまり記憶にないが?
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氷川丸
1930年,シアトル航路の輸送力強化のため日本郵船が建造した日本の代表的貨客船。1万1622総トン,16ノット。第2次大戦では病院船。廃船後1961年以降,横浜山下公園の岸壁に係留。
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ニューグランドホテル
1927年建築
一階ホールに入ると奥にホテル関連、マッカサー関連等の写真展示ががあり、見てきました。
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旧英国7番館
ニューグランドホテルの隣に旧英国7番館があります。
1922年建築で震災前の唯一の外国商館だそうです。
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ヘボン記念碑
人形の家の裏にヘボン記念碑があります。
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山下居留地遺跡
神奈川県民ホールの裏に神奈川芸術劇場とNHK横浜放送会館の合同施設が建てられる際に、発掘調査され、海を背にしてビルの左側(東側)に、展示パネルと展示物(煉瓦が主)、右側に48番館の遺構展示小屋が設けられています。
山下居留地遺跡は、当初の外国人居留地の中心部にあたり、開港当初から外国商館が建設されています。この地域は1923年(大正12)の関東大震災により甚大な被害がもたらされ、居留地のほとんどの建物が倒壊しています。山下居留地遺跡の発掘調査では関東大震災の瓦礫直下から煉瓦や切石による商館の基礎遺構などが姿を現しています。今回の調査区に該当する代表的な商館は、48番地(英国系貿易商社・モリソン商会)・54番地(独国系総合商社・イリス商会)・55番地(英国系貿易商社・コッキング商会)の大部分と53番地及び街路の駿河町通りの一部が該当します。
(山下居留地は、江戸時代幕末の1858年に締結された日米修好通商条約など欧米5ヶ国との条約により、開港場に居留地を設置することが決められ、1859年7月4日正式開港し、まず山下町を中心とする山下居留地が4年で完成した。条約改正により1899年に廃止されるまで存続した。)

48番館の展示小屋
J.P.モリソン商会というダイナマイトなどを扱っていた会社の商館が建っていました。
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パネルと展示物
発掘されたものは、建物遺構(煉瓦、タイル)、日用品(食器、陶磁器、ビン、喫煙具)、トイレ、排水施設、配管、下水、ガス管等
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パネル13枚のうち最初の3枚の写真をのせます。
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なお、NHK横浜放送会館には、無料のアーカイブを見ることができるブースが入口の右側にあり、少し暇つぶしにNHKの特番を見ました。

旧露亜銀行横浜支店
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横浜ユーラシア記念館(1,2,3階)と横浜都市発展記念館(4階)
横浜市在住65才以上は無料なので、横浜ユーラシア記念館では企画展「博士の愛した中国陶器」で、貴重な青磁、白磁、唐三彩などを鑑賞しました。横浜都市発展記念館では、横浜の古い写真や地図を見てきました。

感想
神奈川県の史跡を紹介しているわけだから、外国人居留地は外せないと思い山下公園の周囲を散策した。
山下居留地関連に絞って、吉田橋、外人墓地や、港の見える丘にあるフランス館やイギリス館も紹介したかったが、別途紹介する。










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