歴史探訪(神奈川県の史跡 月見野遺跡と相模野層序)

歴史探訪(神奈川県の史跡 月見野遺跡と相模野層序)
3月5日月見野遺跡に行ってきました。ただし遺跡があるわけではなく、碑があり、「つる舞の里歴史資料館」というところに資料が展示してあります。また、相模野層序について多少調べて整理します。

田園都市線つきみ野駅前のつきみ野野球場の角に、「月見野遺跡の碑」があります。「つる舞の里歴史資料館」は、地図の左上にあり、駅から500mです。
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月見野遺跡の碑
付近は住宅街となっており、碑は、地図の西側にある目黒川より相当高い位置にあります。
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つる舞の里歴史資料館
月見野遺跡や大和市の他の遺跡の説明、土器や石器の展示がありました。小田急による林間都市の売り出し、開発経過の展示もあり参考になった。また大和市の史跡(鶴間宿や月見野遺跡)を紹介するビデオが数本見れるようになっています。月見野遺跡発掘時の写真(発掘作業状況や宿舎等)の写真もビデオに出てきました。
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月見野遺跡における相模野層序のパネルでは、下から(ローム層の古い順)
・青灰色軽石(吉岡軽石)古期富士火山YP
・黄色軽石点在(三浦軽石)MP
・黄色軽石(東京軽石)
・縞状火山灰(箱根新規火砕流)
・黄白色軽石(箱根中央火口丘。第一軽石)
以下略
となっていた。
小原台軽石(OP)?

相模野層序を理解するためのネットで調査する。
ネットで相模野層序と入力すると
「相模原台地周辺の地形・地質」平塚市博物館学芸員 森 慎 一
という資料を見ることができる。(非常にわかりやすい。素人向け資料)

ローム層は従来上位より立川ローム層、武蔵野ローム層、下末吉ローム層、多摩ローム層に四分されていた。大磯丘陵周辺の調査・研究の結果、各ローム層のさらに詳しい細分化した層序、年代が特定できた。とある。
ページ12の対応表によると
・1万年以前  黒土層(沖積世ローム層)  
・1~3万年前 立川ローム層  陽原段丘レキ層、陽原面
                     田名原段丘レキ層、田名原面
・3~7万年前 武蔵野ローム層 中津原段丘レキ層、中津原原
                     相模原段丘レキ層、相模原面
  (1~7万年前を新期ローム層という。)
・7~14万年前 下末吉ローム、吉沢ローム層 高座丘陵砂レキ層
    (1万年前~14万年前洪積世後期)
・14万年前~ 多摩ローム層 座間面
    (14万年前~洪積世中期)


各層の由来や、各段丘、丘陵の層序について説明があるが、
相模原面の記事を抜粋すると         
(4)相模原面
相模原台地の大部分を構成する相模原面は相模原礫層の堆積面である。相模原面の地表面高度は城山町久保沢で160mであり、南東へ低下し、相模原で100mほどとなる。さらに相模原以南ではその高度は南方へ次第に低下し、綾瀬市吉岡で 45mほどとなる。このように相模原面は全体的には 3.3~5‰の勾配で南東ないし南方へ緩く傾斜するが、相模線宮山駅と小田急電鉄湘南台駅を結ぶ線の南側では、逆に北側へ傾斜する。この北側へ傾動している原因は、後述する高座丘陵南部の隆起に伴うものである(岡ほか 1979)。
ところで、相模原礫層は 7~15m ほどの層厚を有する、中~大礫層である。この礫層上には層厚約 15m の風成ローム層が重なる。風成ローム層の下限付近には吉岡ラピリ(YL)が挟在し、その 3~4m 上位に東京軽石(TP)が挟まれる(図 4)。したがって、この相模原面は約 6 万年前に段丘化したものである。なお、YL は 10cm ほどの層厚を有する橙色~青色ラピリ(発泡していないスコリア)層であり、TP は 20~40cm の層厚を有する、輝石および斜長石斑晶の目立つ黄色軽石層である。

以上の記事から相模原面のローム層について、もう少し詳しく知りたいと思っていたが、相模原面のローム層は、新期ローム層で下末吉ロームは含んでいないことがわかった。

感想
月見野遺跡は地形がわかる程度で何もないが、「つる舞の里歴史資料館」には
多少パネルや石器、土器があり散歩がてら行くにはちょうど良い。

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