歴史探訪(東海道歩き12回目 鶴見~新子安)

歴史探訪(東海道歩き12回目 鶴見~新子安)
3月28日(木) 旧会社の仲間と歩いている月例の東海道歩きの12回目で、鶴見から新子安まで歩きました。今回も、この歩く会の幹事が、毎回まとめている資料から抜粋して、簡単に整理させていただきます。ただし、ところどころ、私の撮った写真や、感想、独自調査した内容を適宜加筆追加します。

見学したところを下記に示します。
成願寺 ~ 総持寺 ~ 東福寺 ~ 総持寺踏切跡 ~JR 国道駅 ~ 慶岸寺 ~ 子育地蔵尊 ~鶴見川河口干潟「貝殻浜」~ 正泉寺 ~ 生麦水神宮 ~ 道念稲荷神社 ~ 安養寺 ~ 生麦事件現場 ~ 関口米店 ~ 生麦原神明社 ~生麦事件碑 ~ キリン横浜ビアビレッジ工場 ~ 遍照院 ~ 西洋野菜栽培とトマトケチャップのふるさと ~ 新子安駅

成願寺
明治 39 年に、広大な寺地を大本山總持寺移転建設地に献納して、明治 45 (1912)年にこの地に案下処(あんげしょ:賓客や新命住職が泊まる臨時の宿舎、または支度を整える所)となり、大正元(1912)年当地に移転した。
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総持寺
鎌倉時代の元亨(げんこう)元(1321)年道元禅師 4 世の法孫であるけい瑩山紹瑾禅師(けいざんじょうきんぜんじ)によって能登国鳳至郡櫛比荘(ふげしぐんくしひのしよう)、現在の石川県輪島市門前に開かれ、律宗から曹洞宗に改宗した。本尊は釈迦牟尼佛で、末寺が 1 万 5 千余寺ある。(曹洞宗の8割の本山)
三門
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仏殿(大雄宝殿)
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石原裕次郎の墓
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東福寺
真言宗智山派寺院で、平安時代末に創建された鶴見で一番古いお寺である。
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国道駅
鶴見線の駅ですが、昭和時代のレトロを感じさせる駅です。皆で歩きながら、国道駅とは、名前の付け方が少し手抜きだと話題になりました。
以前のブログで取り上げたように、神奈川「地理・地名・地図」の謎、実業之日本社、浜田弘明著によると、他の鶴見線の駅名の由来も、私鉄だったとはいえ少し手抜きだと思う。
・浅野駅・・・・浅野総一郎(浅野セメント創業者)鶴見埋立組合設立者
・安善駅・・・・安田善次郎(安田財閥)浅野の協力者 
・武蔵白石駅・・・・白石元治朗、安田善次郎の娘婿、日本鋼管初代社長
・大川駅・・・・大川平三郎、日本鋼管2代目社長
・鶴見小野・・・・扇町の大地主
・扇町駅・・・・・・浅野家家紋の扇から

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慶岸寺
浄土宗1581年創建で、子育て地蔵が門の脇にある。
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正泉寺
門と本堂の間の道の両側は紅葉が植えられていて、秋はきれいだと思う。
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生麦水神宮
生麦漁師の信仰が厚い神社。
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道念稲荷神社
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蛇も蚊も祭り
道念稲荷神社と旧東海道の先にある原の神明社の 2 ヵ所では、萱(かや)で作った蛇体に悪霊を封じ込めて海に流し悪疫を追い出し豊漁も祈ったことに始まる蛇も蚊も祭りが有名である。
生麦事件発生現場
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・生麦事件碑
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キリン横浜ビアビレッジ工場の SVB 内のレストランでビールと昼食を頂きました。日替わりランチとビールで1980円でした。
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レストランの脇に『アメリカン梨』の花が咲いていましたが、花が桜に似ていてきれいでした。
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遍照院
昼食後新子安駅の手前にある遍照院 を見学しました。このお寺の門の前には、このお寺に入るためだけの踏切がありました。参道を京浜急行が横切る代わりに専用の踏切を作ってもらったと思われます。
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感想
今回の東海道歩きで生麦事件の現場や碑を見て事件を復習でき、明治維新の発端となった歴史上重要な場所を訪問できたことは、大変参考になりました。
記録小説「生麦事件」吉村昭著、という本を読むと重要さがよく解ると思います。
この事件が無ければ、明治維新の時期も内容も変わったと思います。

参考
薩英戦争(ウィキペディアより)
この戦闘を通じて英国と薩摩国の双方に相手方のことをより詳しく知ろうとする機運が生まれ、これが以後両者が一転して接近していく契機となった。
損害
薩摩側・・・・・・・英国海軍側
砲台の戦死1名・・・・・・戦死13名
負傷者9名・・・・・負傷者50名(負傷者の死亡7人)
大砲8門・弾薬庫x2・・・・・艦船大破1隻、中破2隻

軍事的な結果は引き分けだが、薩摩側は艦砲射撃の民間被害が大きかった。
市街の死傷者9人(3人死亡)、
鹿児島城内の櫓、門等損壊、集成館、鋳銭局、寺社、民家350余戸、藩士屋敷160余戸、藩汽船3隻、琉球船3隻、赤江船2隻が焼失と軍事的な施設以外への被害は甚大であり、艦砲射撃による火災の焼失規模は城下市街地の「10分の1」になる。













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