歴史探訪(名城巡りの旅 丸亀城・備中松山城)

歴史探訪(名城巡りの旅 丸亀城・備中松山城)
4月2日~3日『瀬戸内海ぐるり1周名城めぐり 「備中松山城」「姫路城」「丸亀城」「高松城」 2日間』クラブツーリズムに行ってきました。31980円/人
昨年北陸名城巡りに行きましたが、一人で行くよりもガイドに説明してもらうと、勉強になるので、今年は、現存12天守で行ったことがない、丸亀城・備中松山城が入っているツアーを選びました。

旅行日程
4月2日 高松城~丸亀城~鳴門公園(渦潮観光)
4月3日 姫路城~最上稲荷~備中松山城

高松城
1587年生駒親正築城、平城でお堀の水が海水の水城(海城)です。
月見櫓(1676年、北の隅櫓)・・・・ここから殿様は出航して、江戸に向かった。
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天守閣跡・・・・天守は明治17年(1884年)老朽化のため取り壊し。
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庵治石
お城の中には大きな披雲閣という御殿があり、その庭には、庵治石と呼ばれる石できた庭石、灯篭、水瓶、橋等があり、圧倒される大きさです。石垣の石も庵治石でできているようで、近くに庵治石の作品のある、イサム・ノグチ庭園美術館.もあるので一度行ってみたい。ついでに地学的に言えば、庵治石は白亜紀の中央構造線内側の領家帯(外側は三波川帯)の花崗岩である。
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丸亀城
慶長2年(1597年)生駒氏が築城、1615年一国一城令で廃城、寛永8年(1641年)山崎氏が入り主要な石垣を作り、山崎氏断絶後、万治元年(1658年)京極氏が入り、明治まで続いた。天守閣は京極氏が1660年建てた、現存12天守の一つである。
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三の丸北側の算木積の石垣
(隅角部を直方体の石を長辺と短辺を交互にしたもので20mあり、丸亀城の石垣は日本一といわれて非常に高い。)
江戸時代に入って確立した技術なので築城した時代がわかる。
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丸亀城天守閣(現存12天守)
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姫路城
1333年赤松氏が砦を築く、1546年官兵衛姫路城で生まれる、1583年羽柴秀長入封、1585年木下定家入封、1600年池田輝政入封、1609年5重7階の天守完成、1617年本田氏入封(千姫と共に)、以後松平、榊原、酒井等入府するが省略。
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姫路城の構造
二本の大柱(上の方は継ぎ足して3ピースでできている)で全体を支えている。
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石垣の石は付近の凝灰岩とのこと。そういえば少し黒っぽく粒が結晶ではなく均一。

備中松山城
城は花崗岩の大きな岩を利用して建ててある。
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天守閣
1683年水谷勝宗によって大修復されたもの。
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昭和15年に地元の小中学生。女学生が一人2枚ずつ瓦を2万枚運んだそうです。標高430mあるから大変だったと思う。
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登山口に御根小屋跡(現在高梁高校)があった。従って根小屋式山城

感想
今回旅行で現存12天守を全部登城したことになる。添乗員に備中松山城は登るのに大変と脅されたが、このところ山城に行っているので、ふいご峠(標高330m)から天守閣(430m)まで標高差で100mは、大して苦にならなかった。
姫路城は、説明するまでもなく、壮大で見どころ満載である。姫路城の門外にある公園では桜が満開で、花見をしている人もあり、外国人も多く、さすが観光地といったところ。



















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