歴史探訪(江戸の街歩き 護国寺~江戸川橋)

歴史探訪(江戸の街歩き 護国寺~江戸川橋)
5月7日(月) 旧会社の仲間と歩いている月例の街歩きで、護国寺~江戸川橋まで歩きました。今回も、この歩く会の幹事が、毎回まとめている資料から抜粋して、簡単に整理させていただきます。ただし、ところどころ、私の撮った写真や、感想、独自調査した内容を適宜加筆追加します。

歩いた経路を下記に示します。
護国寺 ~清土鬼子母神 ~ 腰掛稲荷神社(菊衣石)~ 塩井雨江・大町桂月住居跡 ~ 薬罐坂(夜寒坂) ~窪田空穂旧居跡・終焉の地 ~ 成瀬記念館〔休館〕 ~ 日本女子大学成瀬記念講堂 〔休館〕~ 鉄砲坂 ~ 東京カテドラル関口教会 ~ ホテル椿山荘東京 ~ 胸突坂 ~ 水神社 ~ 江戸川公園 ~ 神田上水取水口大洗堰跡 ~ 江戸川橋駅(昼食)~子育地蔵尊(火伏せ地蔵) ~ 江戸川橋駅

護国寺
5 代将軍徳川綱吉公が、その生母桂昌院の発願により建立(真言宗)。観音堂(本堂)は元禄 10(1697)年建立のまま、近江三井寺より移築された月光殿(重文)は桃山期の書院様式建築美を今に伝えている。


仁王門
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不老門
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本堂
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一言地蔵
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多宝塔と月光殿
月光殿は、桃山時代の建造で書院様式を伝えるものとして貴重な建物である。
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清土鬼子母神
護国寺近くにあり鬼子母神像が掘り出された所で、三角井戸がある。
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鬼子母神の鬼の上の点は、この神社の石碑や説明板ではなかった?角(つの?)が取れた?下記写真を見てください。
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腰掛稲荷神社
信者の寄付した菊衣石がある。
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日本女子大
成瀬記念館は連休明けで休館でした。
日本女子大の中には入れましたので、創立者成瀬仁蔵氏の住んでいた建物の写真を撮りました。
成瀬記念館分館(旧成瀬仁蔵住宅)
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東京カテドラル関口教会
東京大空襲によって焼失、丹下健三氏の設計により再建、昭和 35(1960)年に起工、昭和 39(1964)年 12 月 8 日落成、献堂式が行われた。8 面の双曲抛物面をほぼ垂直に建て掛けた構造は、天井は一大十字架形をかたどっている。

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椿山荘庭園
江戸時代は久留里藩黒田氏の下屋敷だった。明治の元勲である山縣有朋は西南戦争の功により年金 740 円を与えられ、明治 11(1878)年に購入、自分の屋敷として「椿山荘」と命名した。藤田財閥の2代目当主藤田平太郎男爵がこれを譲り受け、その後、藤田観光の所有となり、現在は「ホテ ル 椿 山 荘 東京」として営業中である。
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三重塔「園通閣」
平安期の歌人として名高い参議・小野篁(おののたかむら)ゆかりの寺院、広島県賀茂郡の篁山(たかむらさん)竹林寺に創建されたものをその起源とする三重塔(国登録有形文化財)。
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神田上水取水口大洗堰跡
江戸時代のダムで、ここで水位を高くして分流して、水道橋付近で神田川を渡り江戸の街に水を供給していた。
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感想
5月の一番良い気候で、歩くには快適な一日であった。
護国寺があることは知っていたが、こんなに大きい寺で、立派で古い建物が残っているとは思わなかった。山手線内であるにもかかららず、われわれ以外には観光客は、いなかった。外国人でごった返している浅草とは大違いである。
東京カテドラル関口教会にはパイプオルガンがあり、コンサートの録画を見たことがある、一度行ってみたい。

参考
護国寺の本尊は、如意輪観世音菩薩であるが、観音と観自在菩薩との違いを
ウィキペディ ア「観音菩薩」の名前の由来から抜粋しておく。
サンスクリットのアヴァローキテーシュヴァラ(Avalokiteśvara)を、玄奘は「観察された(avalokita )」と「自在者(īśvara)」の合成語と解釈し「観自在」と訳した。鳩摩羅什訳では「観世音」であったが、玄奘は「古く光世音、観世音、観世音自在などと漢訳しているのは、全てあやまりである」といっている。
一方で、中央アジアで発見された古いサンスクリットの『法華経』では、アヴァローキタスヴァラ(avalokitasvara)となっており、これに沿えば「観察された(avalokita)」+「音・声(svara)」と解され、また古訳では『光世音菩薩』の訳語もあることなどから、異なるテキストだった可能性は否定できない。なお、現在発見されている写本に記された名前としては、avalokitasvaraがもっとも古形であり、ローケーシュ・チャンドラはこの表記が原形であったとしている。
観音菩薩という呼び名は、一般的には観世音菩薩の略号と解釈されている。
日本語の「カンノン」は「観音」の呉音読みであり、連声によって「オン」が「ノン」になったものである。

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