歴史調査(黒ボク土は縄文人がつくった)

歴史調査(黒ボク土は縄文人がつくった)
「黒ボク土は,縄文人が野焼きをしてできた土ともいわれている。」と紹介したが、本日はこの点(黒ボク土と縄文人)にしぼって、追加調査をしたい。

黒ボク土とはの紹介は、先日の私の下記ブログを参照ください。今回はその続編にあたります。

歴史調査(江戸の下肥流通圏と神奈川の土壌)
https://44806945.at.webry.info/201905/article_2.html

まずは「黒ボク土 縄文」とWebに入力して、資料を探す。
①単行本 『日本の土: 地質学が明かす黒土と縄文文化』山野井 徹 (著)
内容紹介
日本列島を覆う表土の約2割を占める真っ黒な土、クロボク土。火山灰土と考えられてきたこの土は、縄文人が1万年をかけて作り出した文化遺産だった。30年に及ぶ地質学の研究で明らかになった、日本列島の形成から表土の成長までを、風成層の堆積と、地すべり・崩壊などの侵食との関わりで、考古学、土壌学、土質工学も交えて解説する。
クロボク土の成因に関する新しい説  山野井氏の解説文
file:///C:/Users/ntanaka/AppData/Local/Microsoft/Windows/Temporary%20Internet%20Files/Content.IE5/SFF17PW0/10_17_0002.pdf
植物が分解されずに地層中に残る条件は2つある。1つは植物遺体が酸化的な環境におかれないことであり、もう1つは分解される前に燃焼によって炭化することである。クロボク土の生成環境は乾陸の地表であるから、そこは酸化的な環境であり植物遺体は分解されてしまう。したがって前者の条件は消えるから、後者の炭化条件が残る。そこで、前述のクロボク土層中の黒色破片は炭化した後に堆積した植物破片ではなかろうかという見通しが得られる。
 阪口(1987)は千葉県の縄文期の海成層から湿地の堆積物中に植物の焼けた微粒子の産出を報告した。この微粒子と黒色破片の特徴とは共通であるが・阪口く1987)はこの微粒子がなぜ植物の焼けたものであるかの根拠は示していない。そこで筆者は植物遺体を燃焼させ、その細片を顕微鏡で観察した。その結果、クロボク土中の黒色破片の形態はススキの燃焼炭粒子と共通していることを見出すことができた。よって・クロボク土中の黒色破片は燃焼炭の微粒子(以後1搬粒炭」という)と考えるのが最も妥当である。

②論文 「縄文遺跡の立地性向」 枝村俊郎・熊谷樹一郎
file:///C:/Users/ntanaka/AppData/Local/Microsoft/Windows/Temporary%20Internet%20Files/Content.IE5/QKXUMTV7/17-1-63.pdf
内容
黒ボク土と台地地形と縄文遺跡の分布比較等
・縄文遺跡は黒ボク土壌地帯,台地地形に分布する傾向を持つ.樹林圏の如何に関わらない.(従来説 ナラ林と照葉樹林と分けると、縄文文化は木の実が豊富なナラ林(東北日本)ではぐくまれた)
・貝塚を考慮すれば,よりよく縄文遺跡の分布が説明できる。
③ 独立行政法人農業環境技術研究所「火山国ニッポンと土壌肥料学」
内容抜粋
・黒ボク土に多く含まれている活性アルミニウムと粘土のアロフェンは、リン酸との結合力がきわめて強くて、ひとたび結合したリン酸を容易には解放しない。土壌は、一般に、リン酸と強く結合するが、黒ボク土の場合は他の土壌に比べてとくに強くリン酸と結合する。このため、黒ボク土では、植物がリン酸欠乏になって、生育がきわめて悪くなってしまうのである。
・弥生時代に日本列島に伝来したとされている水田稲作の伝播についても、黒ボク土地帯を避けて移動したことが知られている。静岡東部の平野から北には日本列島に横たわる大きな黒ボク土の壁がある。この壁に阻まれて水田稲作の拡大はここで停滞し、関東地方やそれ以北への伝播が遅れたのである。

④論文 黒ボク土の生成と農耕文化( とくに放牧 との関わ りについて)
                                    渡 辺 真紀子
file:///C:/Users/ntanaka/AppData/Local/Microsoft/Windows/Temporary%20Internet%20Files/Content.IE5/THELLUK2/003108.pdf
内容 一部抜粋(黒ボク土=縄文人を否定する内容
,植物社会学における植生の気候極相の理論か ら ●● ,「草原植生 の長期維持 -人間による森林破壊」 と結論づけるのは短絡であろ う。 もう一つは,ススキ野原のような単一の植生景観が黒ボク土で長期間にわたって維持 された とい う仮説は必ず しも正当ではないと考えられ る。おそらく,火山灰の断続的降下に伴う植生の一次遷移を利用 した生業が,黒ボク土の生成に関与 した と推測 され る。

感想
『黒ボク土は縄文人がつくった』という説は、必ずしも納得したわけではないが、
調査内容が少し長くなったので、今日はここまでとします。

田という字と畑という字を少し、文献を調べる。(ウィキペディア 田)
説文解字に「穀を樹うるを田という」とあり、漢字圏では田を「穀物を栽培するために区画された農地」の語義で使用することが一般的である。現代中国語においても「田」は区画された農地一般を指し「水田」に限らず、日本語における「畑」も含まれる。「畑」は日本の国字であり、同様の農地を普通話では「田地(tiándì)」と言う。
(要するに田という字ができた中国中央部には稲作がまだなかったようだ。)

畑は火と田からなっているところから、焼畑が畑の一般的形態であったとも考えられる。今でも野焼きは多い。



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