歴史探訪(神奈川県の史跡 印融法印の史跡)

歴史探訪(神奈川県の史跡 印融法印の史跡)
6月19日(水)。昨年印融没後500年の催しがあり、それに参加した友人から関連資料をもらっていたが、1年たって、近所に長源寺、及びいつも散歩している恩田川河畔に観護寺があることを知り、関連の史跡を回ることにした。

若葉台団地(横浜市旭区)~(鶴ヶ峰行バス、長源寺前下車)~長源寺~川井宿バス停~(中山駅行きバス、警察署前下車)~念仏橋~観護寺~(横浜線中山駅~小机駅下車)~三会寺(さんねじ)~小机駅

印融とは
印融(いんゆう/いんにゅう、1435年(永享7年) - 1519年9月8日(永正16年8月15日))は、室町時代の日本の学僧。『杣保隠遁鈔』を代表とする著作と多数の写本を残しており、1508年(永正5年)に書写した『塵袋』は国の重要文化財に指定されている。晩年は関東における真言宗の復興に努め、入寂の後、関東の談林60余ヶ所では印融の肖像を掲げて毎年供養したという。
長源寺
画像

長源寺の創建年代等は不詳ながら、天平11年(739)行基が開山したと伝えられ、三會寺第七世印融法印が中興したともいいます。旧小机領三十三所子歳観音霊場27番です。
山号 川井山 (宗派 高野山真言宗)
院号 観音院  寺号 長源寺
本尊 木造大日如来坐像 木造大日如来坐像
画像

画像

このお像は長源寺の本尊で、頭髪を高く結い上げて銅造の宝冠をかぶり、胸の前で智拳印を結ぶ金剛界大日如来坐像です。
張りの強い面部や下半身の装飾的な衣の皺の刻出などに鎌倉時代の作風を受け継ぎ、丁寧にまとめられており、像底部の銘文から、東国仏教界に強い影響を与えた高僧の印融が、永正十年(一五一三)に寄付したことがわかります。

住職の説明
お参りしていると、住職から声をかけられ、印融関連史跡をこれから回るといったところ、本堂や庫裡に案内してくれ、詳しい解説や情報を教えてくれた。
・長源寺の縁起
行基様がここにお寺を作れと言ってできたお寺で、行基が創ったお寺では、弘明寺の次に古い華厳宗だったお寺です。開山後700年後室町時代に真言宗になった。
当寺の観音さまは別のところにあり(都岡?)、当寺には本尊が無かった。そこで印融が本尊を寄付し、華厳宗から真言宗となった。
次に内陣前に案内され、まず掌に香料を一つまみのせてくれて、手をこれでもんで清めてくださいと言われた。
大日如来坐像の前(須弥壇と内陣の間)に連れて行かれ、説明を聞いた。
・この像は智拳印を結び、智拳印は・・・・・(説明されたが忘れた?省略)
・左右にある胎蔵界曼荼羅、金剛界曼荼羅の説明があり、当寺は金剛界のお寺です。
・仏具が置いてある壇(内陣)のまわりが、5色の組紐(写真で5色の紐が見えます。)で囲んであり、色は金剛界と胎蔵界では異なるとのこと、紐が囲んでいる範囲には壁(結界)があり、紐の下から物(例 仏様にお出しする茶器等)の出し入れができるが、決して紐の上から手を入れてはいけない。ここに仏様をお迎えして真言でお願い(会話を)するところ。
次に庫裡に連れて行かれ、印融及び消火訓練のビデオを見せてくれ、いろいろな情報を教えてくれた。
・本堂の右側にある大きな木は、栃の木だそうで、毎年栃の実が南京袋に3つほどとれて、掃除が大変とのこと。消防訓練には若葉台の消防署も来て、屋根に放水するが、当初は本堂の裏山まで水がかかり後の始末が大変だった。
・畠山重忠の慰霊祭が薬王寺で今週の6月22日に有る。
・旧小机領三十三所子歳観音霊場(33か所)が12年に1度の子歳に本尊が開帳されるが、それが来年4月1日から5月初め行われ、タウンニュース(旭区版)にツアー参加の記事を載せる予定で、当寺も参加する。ツアーはマイクロバスで回るらしい。
・印融の生地に何か残っていますかと聞いたところ、「岩沢家もこの頃は
」といって言葉を濁されたので、多分開発で旧家の面影も無くなり、昔とは違っているのだろう。
念仏橋
印融が念仏を唱え托鉢するために作った橋。
画像

画像

観護寺
印融は生まれは近くの緑区三保町で、この寺で活動し、没した。印融の墓は、ここと、三会寺の2か所にある。
すぐ目の前に舊城寺(榎下城址)が見える。
https://44806945.at.webry.info/201810/article_3.html
(新編武蔵風土記稿より)
古義真言宗、橘樹郡鳥山村三會寺末、浮陀洛山龍光院と號す、客殿九間に六間南向なり、本尊聖観音木の坐像、長二尺許、春日の作なり、開山詳ならず、僧印融を以て姑く開山とせり、印融は久保村の産にて、同村舊城寺の住職となり、他山へも移轉して後亦當寺に来り、永正十六年八月十六日遷化す、此寺も古へは八十石の御朱印を賜りしよし、しばしば回禄に逢て舊記等烏有せしかば、後願べき便りもなく、往事を知事を得ずと云、このわたりより富士山を眺望あるにより、土人は富士見寺などと呼べり、又寺前の水田に其形のうつれば、其田を富士見田などともいへり。
画像

画像

画像

三会寺
伝法を受けた寺(1459年(長禄3年)に賢継から醍醐三宝院流を伝授され、1469年(文明元年)に三会寺で西院流能禅方を伝授された)
印融の墓もある。
画像
画像
画像


感想
長源寺の大日如来坐像を近くで見れて、住職に直接話を聞けて大変感激した。
金箔も大体残っており、つい最近造られたように見え、神々しい顔立ちであった。
長源寺住職が弘明寺の開山2年後に行基が関山した寺との説明であり、先日訪れた影向寺も行基が関係していたので調べてみた。
・弘明寺 聖武天皇勅命721年開創、行基737年伽藍を造営開山
・長源寺 伝行基開山            739年開山
・影向寺 聖武天皇勅命          740年開山
(行基が739年光明皇后病気平癒祈願) 

この記事に出てくる、長源寺、観護寺、三会寺、舊城寺は古義真言宗(高野山派)である。真言宗にも、新義と古義があり宗派も複雑に分かれているようだ。新義とは覚鑁(かくばん1095~1143年)が浄土教的思想を密教に取り入れた宗派で、印融を理解するには、この新義と古義を理解する必要があるだ。今後少し密教を調べて理解することにしたい。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック