歴史調査(ブラタモリ#138「阿蘇」 縄文時代の野焼きと阿蘇の土壌改良について)

歴史調査(ブラタモリ#138「阿蘇」 縄文時代の野焼きと阿蘇の土壌改良について)
6月29日(土)に放送された番組を、ビデオで本日見ましたが、少し変だなと思う点があり、コメントすることにしました。

疑問点とは、阿蘇黄土を土壌改良するために、阿蘇の草を刈って直接草を畑に入れて、土壌改良すると誤解してしまう点です。

番組では、
付近はかつて牟田(無田=田んぼがない)と呼ばれる場所でした。田んぼが無いのは阿蘇黄土のように酸性の土壌で作物が育たないのが原因、阿蘇の地質は、農業には向きません。どのように土地を改良したのでしょうか?といってブラタモリは、阿蘇の雄大な景勝地、大観峰に向かいます。そして、草を刈って、直接耕地に草を入れ、土壌改良すると説明しています。

番組のストーリー上、説明がこうなってしまったのでしょうが、阿蘇黄土を土壌改良するのだと、誤解を招きます。

阿蘇の土壌は、黒ボク土が大部分を占めており、阿蘇黄土は黒ボク土の下にある層で、阿蘇黄土を耕作している訳ではありません。
黒ボク土は、番組後半に出てくる、縄文人が野焼きしてできたと言われている土壌です。(番組では「草原の土」とか言っていました。)

黒ボク土壌の分布_edited.jpg

黒ボク土の性質、施肥法、縄文人とのかかわり、なぜ縄文人の野焼きが関係していると言われているかは、私の以前のブログに詳しく書いてありますので。参照してください。
https://44806945.at.webry.info/201906/article_2.html
草を直接施肥する方法を、緑肥(通常はマメ科、禾科)というようですが、酸性を中和する一般的方法は、石灰や草木灰(野焼き)が一般的で、雑草による中和の効果は少ないと思う。雑草を緑肥に用いるのは、総合的に土壌を改良するのであって、雑草を酸性の中和のみに用いるかのように説明するのは疑問。もともと黒ボク土で農作物が盛んにできるようになったのは、戦後化学肥料を用いるようになってからで、阿蘇の酸性土壌改良を雑草の緑肥のみで説明するには無理があると思う。それよりも、改良する土地の
縄文時代から続く野焼きと戦後の化学肥料の影響の方が大きいのであるから、黒ボク土の説明も無く、酸性と雑草のみを取り上げて阿蘇の土壌改良を説明するのは片手落ちだと土壌学の素人である私は思う。

阿蘇黄土のできた経緯も、少し、一般的な説明と少し違って疑問が残る。
ブラタモリの説明は、少しおかしいと思います。

ブラタモリでの説明・・・・・地下水に鉄分が溶けて、地下水の溜りで沈殿した。(火口湖が出てこない)
一般的な説明・・・・・・・・カルデラ火口湖に鉄分が溶けて、酸化して沈殿した。

一般的な説明の例
① 阿蘇市HP(阿蘇グローバルジオパーク資料)
地下から湧き出した鉄分を含む熱水や温泉水が、カルデラが湖だった時代の水と混合することによって鉄が沈殿したものと考えられる。
① ㈱ リモナイトのHPの説明
リモナイト(べんがら)とは「褐鉄鉱」「沼鉄鉱」と呼ばれ、沼地や浅い海などの鉄分を多く含む水が空気に触れ、沈殿作用がおき、その沈殿した黄土を「リモナイト」と呼びます。どうして阿蘇の山の中でそのような産物が生まれたのでしょうか? 阿蘇は、30万年前、15万年、前9万年前と大噴火を経験し、これらの噴火により阿蘇山と外輪山との間に大きな火口湖ができたといわれている。

南九州の稲作伝播
なお、前のブログで説明したように、関東地方に稲作が伝わるのが遅れた理由は、関東が稲作には向いていない黒ぼく土であったため、との説があると書きました。
それと、同じように九州では、阿蘇の黒ボク土のため、南九州に稲作が伝わるのが遅れ、瀬戸内海方面に稲作が広まっていったという説がある。
『土壌肥料学者の藤原彰夫は、宇佐まで到着した水田稲作は、それより南下することを黒ボク土によって阻(はば)まれたため、海を渡って瀬戸内海へ進んでいった。』
『土と日本古代文化』藤原彰夫(博友社)1991










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