歴史探訪(東海道歩き20回目 藤沢~藤沢本町)

歴史探訪(東海道歩き20回目 藤沢~藤沢本町)

2/17(月)旧会社の仲間と歩いている月例の東海道歩きの20回目で、藤沢~藤沢本町周辺の寺社、名所・旧跡巡って、歩きました。今回も、この歩く会の幹事が歩くたびに、毎回まとめている資料から抜粋して、簡単に整理させていただきます。途中見学したところを下記に示します。ただし、ところどころ、撮った写真や、コメント、感想、独自調査した内容を追加します。

経路
JR 藤沢駅 ~ 庚申堂と庚申供養塔 ~ 江の島弁財天道標 ~ 黒鼻稲荷大明神 ~ 白山宮 ~ 金砂山観音堂・鼻黒稲荷大明神 ~ 藤沢橋 ~藤沢広小路 ~ 鎌倉道 ~ 舩玉神社(ふなだまじんじゃ)~ 感応院 ~ 山王神社 ~ 遊行寺の追加(敵御敵供養塔、宇賀弁財天、眞浄院)~ 日限地蔵(ひぎりじぞう)~御殿橋~ 藤沢御殿跡 ~ 厄神社 ~ 内田商店~問屋場跡 ~みつはし園茶舗 ~ 蒔田本陣跡 ~ 常光寺 ~ 妙善寺 ~ 荘厳寺 ~ 永勝寺 ~ 義経首洗い井戸 ~ 白旗神社 ~ 北向地蔵 ~ 藤沢本町駅

藤沢宿

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今日歩くのは藤沢宿近辺の史跡であるから、藤沢宿の紹介をしておく。

藤沢は、時宗総本山遊寺(清浄光寺)の門前町として栄えた。慶長 6(1601)年に駅制が定められるにあたって藤沢宿として整備され東海道の宿場となり、後に戸塚宿、川崎宿が追加され五十三次の江戸日本橋から数えて第 6 番目の宿場となった。また、それ以前の慶長元(1596)年に徳川将軍家の宿泊施設である藤沢御殿が築かれていた(17 世紀半ばに廃止)。大山道や江の島道が分かれる観光地としての賑わいに加え、周辺農村からの物資の集積地として繁盛した。天保 14(1843)年の『東海道宿村大概帳』に、宿内人口 4,089 人(男 2,046人、女 2,043 人)で、総家数 919 軒、旅籠 45 軒、大名や公用の旅客の宿泊施設である本陣が 1 軒、脇本陣が 1 軒と記されている。


訪問記
庚申堂と庚申供養塔
10時藤沢駅を出発。遊行寺に向かって商店街を歩く。電柱が無く地中化されている。遊行寺通り商店街の中央に 庚申堂と庚申供養塔がある。

今回の散策ではしばしば庚申塚や庚申塔が多数集められて祀られている。これらの庚申関連は神教ではなく道教の影響が強く、明治の廃仏稀釈の時に、撤去されるところを、信者が、残念に思い捨てないで1個所に集めたものであろう。

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江の島弁財天道標
遊行通り先のロータリーの中に、市指定文化財の江の島弁財天道標が建っている。杉山検校の寄進
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黒鼻稲荷大明神
鼻黒とは、幹事の説明では、江戸時代の性病に関係するとの事。
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白山宮
白山信仰の神社かな?
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金砂山観音堂・鼻黒稲荷大明神
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・藤沢広小路
遊行寺橋を渡ったすぐ先、右への広い道が日本三大広小路の 1 つ藤沢広小路で、その入口に説明板と昔の絵図や古い写真が掲げられている。
藤沢宿の写真参照

舩玉神社(ふなだまじんじゃ)
旧鎌倉道沿いに舟玉(船玉)神社(祭神・弟橘姫命)がある。祭神は弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)、この辺りを「大鋸(だいぎり)」といい、小田原北条氏に仕えていた、大きな縦引きのノコギリを使う「大鋸(おおが)引き」という職人たちが住んだ町で、船大工や玉縄城の御用などをしていたといわれる。
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藤稲荷社
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感応院
高野山真言宗の三島山寺感応院は、建保 6(1218)年開山、鎌倉幕府 3 代将軍源実朝の開基といわれ、藤沢宿でも最も古い寺院の 1 つと伝えられている。

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この寺に祀ってある三嶋神社の社殿は自由に回転できるようになっていて珍しく、また、鳥居の台輪が四角形というのも珍しい。

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山王神社
別名を別地(わけち)山王社といい、祭神は大己貴尊(おおなむちのみこと)で、別名は五穀豊穣・縁結びの神である大国主命(おおくにぬしのみこと)である。社殿左横に庚申塚があり、多くの庚申塔が並べられている。

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遊行寺の追加(19回目の東海道歩きで回ったが再度訪問)
・眞浄院
江の島弁財天道標 があります。
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・敵御敵供養塔
国指定史跡で、上杉禅秀の乱で死んだ敵・味方を祀った供養塔。

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・宇賀弁財天
宇賀神社に祀られる宇賀弁財天は、徳川氏の祖とされる有親の守り本尊と伝わります。有親は遊行十二代尊観上人の弟子となり名を徳阿弥と、長男の親氏は長阿弥と名を改めました。そして、次男泰親が独阿弥となり、三河国大浜称名寺に移るとき、遊行寺に宇賀神社を奉納しました。長阿弥はのちに三河国松平の酒井家の養子となり、独阿弥は松平家の養子となり、その子竹若丸は松平を、次男竹松は徳川信光と称しました。これが徳川家の祖先といわれる由縁です。(諸説あります)

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日限地蔵(ひぎりじぞう)
遊行寺本堂左にもあった。
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御殿橋
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藤沢御殿跡
慶長元(1596)年、東海道を利用する際の自らの休憩・宿泊施設として徳川家康が築いたと推定される。

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厄神社
明治 17(1884)年、川崎大師(厄除け大師)から分神された神社で、祭神は厄神鬼王(疫病除けの神)。

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問屋場跡

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常光寺
カヤの巨木で、枝を回りに伸ばしているが、幹は空洞化しつつある。高さ約 25m、樹齢 320 年と推定

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妙善寺
正宗稲荷大明神 「伝教大師(最澄)御真作」とある正宗稲荷大明神を祀っている。

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ここで昼食

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荘厳寺
高野山真言宗の白王山般若院荘厳寺は、元暦元(1184 年)年に創建された古刹(藤沢宿で最も古い寺の 1 つ)

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永勝寺
山門を入った左側の墓所に、東坂戸町で飯盛旅籠を営んでいた小松屋源蔵の墓石を囲むように戒名と「施主小松屋源蔵」の文字が刻まれた抱えの飯盛女(食売女・めしもりおんな)の墓39 基(38 基とも)がひっそりと立ち並んでいる。

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義経首洗い井戸
標柱には、「平泉で討れた義経の首は首実験後片瀬の浜に捨てられ、境川を逆り白旗に漂着したものを里人がこの井戸で洗い清めたということです。」と書かれている。一般的に、白旗神社といえば頼朝を祀る神社であるが、ここでは奥州平泉で最期を遂げた義経を祀っているという大変珍しいケースである。

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白旗神社
古くは寒川比古命を祀っていたといわれるが、義経の首がこの地に葬られたと伝えられるところから、宝地 3(1249)年義経も合祀するようになったという。

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北向地蔵
弱い立場の人々と共にあり、救おうとされることから、あえての下座、すなわち北向きに建てられた

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感想
本日は、風が強いが2月の季節にしては暖かく陽ざしが強い。風が強いせいか、あちこちから富士山がきれいによく見えた。宿場の周りには神社仏閣が多く、今回も街道歩きとしては、ほんのちょっとしか進めず藤沢本町までしか行けなかった。
20回歩いてまだ藤沢宿とは?
遊行寺、妙善寺、白旗神社など立派な建物が多く見られ、庚申塚や史跡も見どころが多かった。
また、神奈川県のHPに登録してある85の史跡(国指定史跡・県指定史跡)のうち、敵御方供養塔を訪問できたのも収穫である。


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