歴史調査(渋沢栄一 田園都市)

歴史調査(渋沢栄一 田園都市)
2021年2月24日(水) 新型コロナのために、外出を控えており、歴史探訪ができないので、渋沢栄一について、少し調査することにした。内容は、個人的に興味を持って知り得た事柄を、脈絡なく記述するので、全く個人的メモ程度なものである。
本日は、渋沢栄一と田園都市というテーマで少しまとめてみる。
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私は、昨年まで、東急田園都市線の沿線に約40年間住んでいた。今でも最寄駅の小田急江ノ島線鶴間駅から2駅で東急田園都市線の始発駅中央林間駅に行くことができる。このため以前 田園都市線の歴史や、田園都市という言葉の意味を調べたことがある。まず、これらについて、少しまとめる。

① 田園都市とは
ウィキペディア「田園都市」より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%9C%92%E9%83%BD%E5%B8%82
(でんえんとし、英:Garden city)には、「豊かな自然環境に恵まれた都市」という一般的な意味と、1898年にイギリスのエベネザー・ハワードが提唱した新しい都市形態という、2つの意味がある。
以下要点を列挙
・ハワードを中心に田園都市協会が設立された。この協会は、1903年にはロンドン北郊のレッチワースにて初の田園都市建設に着工した。
・日本では、1907年に内務省地方局有志により『田園都市』が刊行され[7]ハワードの理念が紹介されたが、[8]この著作では日本の郊外に残る農村風景を加味した都市の形成を視野に入れておりハワードの理論とは多少異なること、そのため本来英国にはない田んぼの園「田園」をガーデンシティの略語として充てていることがしばしば指摘されている[誰によって?]。また、ハワードの田園都市において不動産は賃貸を主としているが、日本における「田園都市」を冠する宅地開発は宅地分譲を主としているほか、自給自足を指向しているハワードの田園都市に対して、日本のものはニュータウンと同様、後述のようにベッドタウンとして開発されることが多いなど、差異が見られる。
私注)国立国会図書館デジタルコレクションで内務省地方局有志による『田園都市』を読むことができる。
(田園都市とは、開発の推進等)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/784700
・関西では小林一三が経営する箕面有馬電気軌道(現:阪急電鉄)が1910年に池田駅近郊の室町、1911年に桜井駅(箕面市)の開発をおこなったことが(直接「田園都市」を標榜したものではないが)その嚆矢である
・東京では渋沢栄一らが1918年に田園都市株式会社を設立し、理想的な住宅地「田園都市」として1922年に洗足田園都市を開発、分譲した。またその地の足の便の確保のために鉄道子会社(後の東急)も設立した。

② 田園都市株式会社
渋沢栄一記念財団・情報資源センターの渋沢社史データベースより
・東急不動産(株)『街づくり五十年』(1973.12)
https://shashi.shibusawa.or.jp/details_basic.php?sid=11640
・・会社沿革と社史メモ
田園都市構想の実現をめざした渋沢栄一らの発起で1918年(大7)創立の田園都市(株)は、分譲地を供給して目的を達成。1927年(昭2)自ら設立した目黒蒲田電鉄(後の東京急行電鉄)に吸収合併となる。同社は沿線開発のための土地事業に取り組み、1953年(昭28)不動産事業を東急不動産として分離独立。五島昇(ごとう・のぼる、1916-1989)社長の下、郊外のニュータウンや都市の大型ビル建設等、新しい地域開発事業を展開する。田園都市(株)設立からの50年史は「土地業としての発足」「土地業から不動産業へ」「新分野へ進出」「総合都市産業を目ざして」という区分で沿革を詳述。住宅地地価分布図を含む会社概要と、統計資料・年表を付す。既刊社史は『東急不動産10年のあゆみ』(1964)。
・・年表(【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜) より抜粋
・・・1918年1月 田園都市(株)発起 発起人渋沢栄一、中野武営、服部金太郎、緒明圭造、柿沼谷雄、伊藤幹一、市原求、星野錫、竹田政智
・・・1918年9月2日 田園都市(株)設立 資本金50万円、社長に中野武営、相談役に渋沢栄一それぞれ就任、本社事務所を東京市麹町区永楽町2-10、日清生命館内に設置
・・・1919年 渋沢秀雄田園都市調査のため欧米11カ国を訪問、
         この時期 洗足。多摩川台・大岡山田園都市が計画された。
・・・1920年 五島慶太、武蔵電気鉄道に入社
・・・1922年9月2日 目黒蒲田電鉄 創立総会、資本金350万円、取締役に竹田政智(代表)、緒明圭造、渋沢秀雄、篠原三千郎、五島慶太、河野通、監査役に市原求、石川善太郎、伊藤欣二がそれぞれ就任、本社事務所を東京市京橋区南伝馬町3-5第一相互館内に設置
         洗足田園都市発売
・・・1922年 田園都市多摩川台(田園調布)発売・目蒲線開通
・・・1927年 東横線(渋谷 - 神奈川間)開通
私注
要するに、洗足の土地を買収し、鉄道の認可までは、栄一が主導し、後を秀雄に託したが、ちっとも進まないので、小林一三に支援を依頼した。小林は週1日の割合で田園調布の計画等に協力したが鉄道関連で限界を感じ、目黒蒲田電鉄 創立に当たり五島を代わりに送り込んだ。
当時武蔵電気鉄道で東横線の買収に困っていた五島に、洗足田園都市の開発で設けてから
その資金を東横線に使え良いと、言って小林が五島を誘った。
そのあとは五島が独り舞台で活躍し、乗っ取り&合併で東急ができた。
栄一から言わせれば、乗っ取られようが、誰がやっても良いということだと思います。王子製紙の場合と同じストーリーかな?


・目黒蒲田電鉄から東急へ
東急グループのHPを参照
https://www.109sumai.com/history/1916.html

ウィキペディ「五藤慶太」より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%B3%B6%E6%85%B6%E5%A4%AA
・渋沢は、荏原電気鉄道で目蒲線の認可を得て、工事を始めたが、素人なのですぐ行き詰まり、小林一三に相談したところ、小林は日曜だけ無報酬で働いたが多忙になり、代わりになる人を探した。鉄道省の知人に相談したところ、東横線の買収にあたっていた鉄道省出身の五藤(武蔵電気鉄道常務)がよさそうだということになり、目黒蒲田電鉄の運営に引っ張り込んだ。五藤は、ここで事業を推進して、分譲地売買等でお金を貯め込んだ。
その利益で武蔵電鉄の株式過半数を買収し、名前を武蔵電鉄から(旧)東京横浜電鉄と変え、1927年(昭和2年)8月に東横線(渋谷 - 神奈川間)を開通させた。
1939年(昭和14年)10月に目黒蒲田電鉄は(旧)東京横浜電鉄を合併し、名称を逆に(新)東京横浜電鉄とする。

・中川浩一の東急電鉄史(首都圏の鉄道史5)より
http://ktymtskz.my.coocan.jp/nakagawa/tokyu.htm
東横線の人口増・発達で東急グループは利益がでて、鉄道、百貨店とう会社を吸収合併して事業を拡大していった。その手法は強引で、強盗慶太とも言われた。武蔵電気鉄道の株式の過半を握り。経営権を強奪した時も、社長郷誠之助(男爵)には買収完了後、事後承諾的に報告し、郷から「それは賢明な策である。結構だ、しかし、君はこの郷誠之肋を見離したということだな」といわれたと伝えられている

③ 田園都市線(東急)・・・・ウィキペディアより抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%80%A5%E7%94%B0%E5%9C%92%E9%83%BD%E5%B8%82%E7%B7%9A
・1927年(昭和2年)7月15日 玉川電気鉄道(玉電)溝ノ口線として二子玉川 - 溝ノ口間開業
・大井町線への編入および田園都市線への名称変更
溝ノ口線は玉川線との直通運転を基本としていたが、戦争に伴う輸送力増強のため一般鉄道用車両を通すことになり、1943年(昭和18年)7月1日に軌間が1372mmから1067mmに改軌されるとともに大井町線に編入され、1945年(昭和20年)に地方鉄道法に基づく鉄道に転換された。この結果、大井町線は大井町 - 二子玉川 - 溝の口間という運転系統となる。
・大井町線も1963年(昭和38年)10月11日に田園都市線に名称変更された。したがって、新たに「田園都市線」となった当時は大井町 - 二子玉川 - 溝の口間であった。
・1966年4月1日に田園都市線溝の口 - 長津田間が延長開業された。
・大井町線の分離
新玉川線開通当初は新玉川線と田園都市線の直通運転を行っておらず、二子玉川園を境に運転系統は分断されていたが、開通7か月後の1977年11月からの日中限定の直通快速の運転を経て、1979年(昭和54年)8月12日に二子玉川園駅以西の田園都市線から新玉川線への全面直通運転を開始した。これにより田園都市線のうち、大井町 - 二子玉川園間は同日から大井町線に改称した上で、朝と深夜の一部に鷺沼直通を残して運転系統を分離した(同路線は溝ノ口線を編入する以前に戻ったことになる)。
・1984年(昭和59年)4月9日 ダイヤ改正を実施。つきみ野 - 中央林間間開業。つきみ野駅構内複線化
・2000年(平成12年)8月6日 新玉川線と田園都市線が統合され、渋谷 - 中央林間間が田園都市線となる。二子玉川園駅を二子玉川駅に改称
まとめ
田園都市線の沿線開発は下記のような経過のようです。
1953年 多摩田園都市計画を五島慶太が提唱、
1954年 五島昇が東急社長となり、土地買収を開始。以後五島昇が推進
1961年 野川地区区画整理完了
1966年 溝口・長津田間鉄道開通

感想
私は、渋沢栄一と田園都市・田園都市線は、関係が深く、当然、私の読んだ4つの渋沢栄一の伝記やこの伝記の年表に出てくると思っていた。しかし、出てこないから驚きである。勿論、渋沢栄一記念財団や渋沢栄一記念館のホームページにも直接、田園都市という文言は出てこないようである。(伝記では、僅かに、田園都市株式会社の集合写真は出てくるのみ。)
先日NHK総合で2月10日放送された『50ボイス 「青天を衝け」』という番組で紹介された渋沢栄一が関係した関連会社では、東急不動産が出てきた。東急不動産は田園都市株式会社の後継会社であるから、東急不動産から調べて行けば田園都市という言葉が出てくる。
要するに、私が言いたいのは、それだけ渋沢栄一には、他に言及することが多く、田園都市は出てこないと思われる。従って、それだけ渋沢栄一の功績は、多岐にわたり、偉大な人であったということである。

付記
田園都市幼稚園
この幼稚園は、青葉台にあるが、設立は田園都市線青葉台駅ができたときに同年に開園されている。数年前、私の孫が通っていたが、論語を暗記させられいて、論語の一節を孫から教えてもらうことになった。このブログを書いていて、この幼稚園の教育方針は、渋沢栄一の論語好きから、とったのではないかと、気が付いた。(教育熱心な園長には未確認)

追記
渋沢栄一記念財団の『渋沢栄一伝記資料』
デジタル版『渋沢栄一伝記資料』 AND OR 詳細検索へ>
田園都市を入力し検索すると下記結果が得られる。
https://www.shibusawa.or.jp/eiichi/biography.html
田園都市 のすべてを含むページは 17349 ページ中、 30 ページ見つかりました。
目次【綱文】 第53巻 ル。3款 田園都市株式会社...
本文 第29巻 DK290011k 重役として田園都市会社の経営...
本文 第37巻 DK370087k 市外洗足田園都市三七八  ...
本文 第41巻 DK410093k された玉川田園都市が完成した...
本文 第43巻 DK430002k の視察旁、田園都市株式会社の...
本文 第43巻 DK430134k 市外洗足の田園都市に一時避難...
本文 第48巻 DK480078k 社員来リ、田園都市会社ノ事ヲ...
本文 第52巻 DK520055k   目黒田園都市西台七〇...
本文 第52巻 DK520077k 解仕候、又田園都市会社之事も...
本文 第53巻 DK530037k 田政智氏 田園都市会社及化学...
本文 第53巻 DK530059k 3款 田園都市株式会社...
本文 第53巻 DK530060k 3款 田園都市株式会社...
本文 第53巻 DK530061k 3款 田園都市株式会社...
本文 第53巻 DK530062k 3款 田園都市株式会社...
本文 第53巻 DK530063k 3款 田園都市株式会社...
本文 第53巻 DK530064k 3款 田園都市株式会社...
本文 第53巻 DK530065k 3款 田園都市株式会社...
本文 第53巻 DK530067k 四郎常務ハ田園都市会社の渋沢...
本文 第54巻 DK540059k た。たしか田園都市会社の社長...
本文 第54巻 DK540077k 会社、一は田園都市会社である...
本文 第57巻 DK570065k 秀雄氏催旧田園都市関係者招待...
本文 第57巻 DK570083k     賀田園都市会社事業発...
資料リスト 第53巻 DK530059k 3款 田園都市株式会社...
資料リスト 第53巻 DK530060k 3款 田園都市株式会社...
資料リスト 第53巻 DK530061k 3款 田園都市株式会社...
資料リスト 第53巻 DK530062k 3款 田園都市株式会社...
資料リスト 第53巻 DK530063k 3款 田園都市株式会社...
資料リスト 第53巻 DK530064k 3款 田園都市株式会社...
資料リスト 第53巻 DK530065k 3款 田園都市株式会社...
渋沢栄一が著作者となる資料 第53巻 一〇月 ○田園都市株式会社成...

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