歴史探訪(街歩き 小机駅~岸根公園)

歴史探訪(街歩き 小机駅~岸根公園)
3月29日(月)昨年11月以来、中断していた旧会社の仲間との久しぶりの街歩きである。今回は、小机~岸根公園まで神社仏閣を訪問しながらウォーキングした。紹介文は、一部、仲間が毎回歩くたびに作成している資料を抜粋して利用させてもらう。

コース
小机駅 ~ 聖徳太子堂 ~ 白山稲荷社 ~ 雲松院 鳥山八幡宮(佐々木高綱館の跡) ~ 庚申塔(青面金剛・地蔵菩薩) ~ 馬頭観音堂(駒形馬頭観音) ~ 三会寺(さんねじ) ~ 貴雲寺 ~ 岸根公園(弁当)

訪問記
聖徳太子堂
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小机に残る太子講の跡「聖徳太子堂」は、廃寺になった寺跡に建てられた。かつてこの地には、慶長年間に開かれたという「如意輪山成就院」というお寺(の末寺)があったそうだが、明治期の廃仏毀釈によって廃寺となり、その後に、元々境内(か、あるいはすぐ側)にあった聖徳太子堂がその場所に遷座した。太子講とは、大工をはじめとする職人さんに信奉された、聖徳太子を「職人の神様」として祀る民間信仰で、江戸時代に流行した。
白山稲荷社
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元々臥龍山雲松院神太寺の守護神として勧請されたものとのこと。
雲松院
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曹洞宗寺院の臥龍山雲松院神太寺は、小机城主であった小田原北条家の重臣だった笠原越前守信為(法名乾徳寺雲松道慶)が開基となり季雲永岳(大永6(1526)年寂)を開山に迎えて、大永5(1525)年に主君と父親の菩提を弔うため、神太寺村(現在の神奈川区神大寺付近)に創建した。
鳥山八幡宮(佐々木高綱館の跡)
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創建年は不明だが、高綱が勧請したと伝えられている。
高綱は、近江源氏・佐々木秀義の4男。秀義の子定綱・経高・盛綱・高綱は、佐々木四兄弟として知られ、治承4(1180)年の源頼朝の挙兵に参
じて活躍している。
高綱の父秀義 佐々木秀義は、源義朝に味方した平治の乱で敗れて奥州へと逃れる途中、相模国で渋谷重国に匿われ、以後20 年にわたって重国の保護を受けていたと伝えられている。
宇治川の先陣争い
寿永3(1184)年正月20 日の木曽義仲追討で源義経に従っていた佐々木高綱と梶原景季。出陣に際して、高綱は「生食」(いけづき)、景季は「磨墨」(するすみ)という名馬を源頼朝から賜わり、宇治川の戦いで先陣を争った。前方を行く景季に対し、高綱は「馬の腹帯がゆるんでいるから、おしめなされ」と声をかけ、景季が腹帯を締め直している間、高綱は先に川の中に馬を乗り入れ、向こう岸へと渡り、先陣の名乗りをあげたのだという。
息子の死を予言した高綱
出家して高野山に入っていた高綱は、建仁3(1203)年10 月、高野山を下り、比叡山の堂衆追討に赴く、兄経高、盛綱と子の重綱に会っている。その時、我が子の戦支度を見た高綱は、「山地戦に見合った格好ではなく、死を免れることはできない」と、息子の討死を予言したという。その予言どおり、重綱は、この追討戦で戦死した。
日露戦争の英雄乃木希典(乃木将軍) 日露戦争で旅順要塞を攻略し、日露戦争の英雄として讃えられ、学習院院長を勤めた乃木希典(乃木将軍)は、高綱の次男・野木光綱の末裔だと伝えられている。光綱は、父高綱、兄重綱を亡くした後、叔父佐々木義清の猶子となって出雲国に住し、野木氏の祖となった。毛利氏に仕えた乃木氏は、野木氏の末裔だとされ、のちに、その一族から乃木希典が出たのだという。

馬頭観音堂(駒形馬頭観音)
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。佐々木四郎左右衛門尉高綱は、源頼朝から賜った名馬「生食」(いけづき)の霊を慰めるため駒形明神として祀ったという。その社は今はなく、馬頭観音堂として残されている。「生食」(「生喰」とも)は、梶原景季が頼朝に賜った「磨墨」とともに知られた名馬で、高綱と景季が先陣を争った宇治川の戦いの物語でもよく知られている(
三会寺(さんねじ)
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高野山真言宗の瑞雲山三会寺は、佐々木高綱建立の寺。創建年は不明だが、一説によると、源頼朝が佐々木高綱に命じて建立させたという。本尊は弥勒菩薩。
印融法印の墓
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正面に向かって一番左の小さな墓石が印融法印のものである。

貴雲寺
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慶長3(1598)年、玄室宗頓(慶長13 年1608 年寂)により開山創建。本尊は薬師浄瑠璃光如来像。武南十二薬師霊場第一番札所、12 年毎の寅年にご開帳されている。
岸根公園(弁当)
広さ約14ha。戦時中は陸軍の高射砲人智が置かれ、戦後しばらく米軍に接収されていた。昭和48(1973)年に返還され、その後整備して現在に至っている。
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ほとんど散っていた『横浜彼岸桜』
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以上までの紹介文は、友人が作成した資料から抜粋した。ただし、写真は自分が撮ったものである。

さらに紹介文を少し追補してみる。
・時代は高綱と少し違うが、座間駅の近くにある星谷寺にある梵鐘を紹介すると、
『本鐘は、嘉禄三年(1227)銘があり、佐々木信綱の名がある。信綱は、父祖の縁によって寄進者として名を連ねたと考えられます。本鐘は、「東鑑(あずまかがみ、「吾妻鑑」とも)」などの文献に見える佐々木氏の相模国在住を裏付ける物的資料として唯一のもので、日本史の上でも重要な資料といえます。(座間市教育委員会掲示より抜粋)』
(信綱は、4兄弟長男である近江国守護を務めるの佐々木定綱の四男)
また、佐々木氏のその後の系図を見ると、信綱の子は佐々木泰綱(六角氏)佐々木氏信(京極氏)佐々木重綱(大原氏)佐々木高信(高島氏)
と分かれる。
・渋谷重国については下記ブログを参照ください。
歴史調査(神奈川県の歴史 渋谷重国とその子孫)
https://44806945.at.webry.info/202009/article_6.html
・印融法印については下記ブログを参照ください。
歴史探訪(神奈川県の史跡 印融法印の史跡)
https://44806945.at.webry.info/201906/article_5.html

感想
緊急事態宣言が解除され、旧会社仲間とのウォーキングを再開したが、今回は、みんなの住まいから近い所をウォーキングしようと小机駅周辺となった。東海道歩きは、藤沢宿まで行って中断している。
本日は、3月にしては暖かく、岸根公園の桜も満開で、非常に快適なウォーキングとなった。
収穫は、佐々木高綱と梶原景季の馬に関して確執があった逸話を友達が話してくれて、おもしろかった。吾妻鏡を多分読破しているのだろうと思う。

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